家のことは、誰にも話しちゃいけないと思っていた。
例え、
消えてしまいたいほど追い詰められていても。
本当は誰かに相談したい。
でも、誰かに話すと “母が” 困るかもしれない。
…そんなことを、34歳になるまで思っていた。
我が家は、母の言うことは絶対。
一人で兄・私・妹の三人を育てた。
兄は早い段階で、無事に家を出た。
私は高校を中退。
その後、働くよう母から言われ働いた。
働いたはいいが…
給料をもらうと、母は当然のように
「あんたは取り分なくていいでしょ」と。
渡せる時には、少しずつ母に渡した。
私には、お金が全くなかったわけじゃない。
服も買えた。食べるものも買えた。
だから当時の私は、自分が不自由だとも思っていなかった。
ただ、自分で稼いで、自分で管理して、自分の人生のために使う。
そんな当たり前を、私は知らなかった。
…だんだん嫌気が差し、家を出るも居場所がなく家に戻る。
その後、私は22歳で娘を出産。
様々な経緯を経て、再び実家で暮らすことに。
初めての育児。…全っ然、寝てくれない。
2時間おきに授乳って聞いてた。
ちがう違う。ずーっと乳出しっぱなし。
半年以上、一時間まとめて寝れた日はない。
日中は誰もいない為、娘と二人きり。
トイレもご飯も、急いで済ませる。
家の中で一人、ずっと走り回っていた。
ある日の23:00頃、母からメール。
「夜中に泣かせるなバカ女!こっちは明日も仕事なの!」
《………あー、ダメだ》
『…うるさいっ!黙れ!!早く寝ろよ!!』
気付いたら、目の前で泣いている娘に怒鳴り散らしていた。
『テメーが泣くからこんな…つーかミルク飲めよ!!』
母乳だけじゃ足りないのだろうと思い、ミルクを何度か作っていた。
…全く飲んでくれない。
いや、私があげると、哺乳瓶を口につけただけで泣き出す。
「…ほら。飲むじゃん…ちゃんとしなさいよ」
娘を抱っこしながら、呆れたように言う母。
《これ以上、何をどうすればいいの…》
心も体も、限界なんかとっくに超えていた。
急に母から「一緒に相談に行こう」と言われ、初めて精神科へ。
医師の目の前に座らされ、話をしていると…
急に数人の看護師が部屋に入ってきて、両脇を抱えられた。
何も理解できず、あ然としている間に看護師たちに無理やり歩かされた。
母の「あんたの為だから!」という声を背に、
怒りと愕然とした気持ちでいっぱいだった。
後に、私の目つきや言動が明らかにおかしかったらしく、強制入院の手配をしていたと母から聞いた。
医師やカウンセラーに、今までのことを話した。
事情を知った医師からは
“とりあえず、お母さんから離れて一人暮らしを。娘さんは、あなたが回復してから迎えに行って” と。
初めての一人暮らし。
しかも、こんな形で。
とてつもなく不安だったけど、母から離れ…
やっっと、呼吸ができる感覚。
洗濯物の干し方も、リモコンの置場所も、食器の直し方も…全部、自分で決められる。
でも、娘のことが心配でたまらない。
《早く娘を迎えに行かなきゃ…今すぐ仕事!仕事しないと…!》
医師からは一人で、ゆっくり休むよう言われていた。
それでも無理やりバイトを試みた。
だけど…
何度教えてもらっても出来ない。
メモをするも、そのメモすら失くす。
備品を壊す・失言で相手を怒らせる…
どれも続かなかった。
《なんで…なんでなんで…》
酒を記憶がなくなるまで飲む。
娘を見てくれている母からは
「あんたは産んだだけ」と言われ。
働くたびに、いつも同じところで躓く。
『もう来なくていいことになりました』
『ウチじゃなくて、他で頑張ってください』
色んな言い方で、“もう来るな” と。
この時は何故こうも出来ないのか、毎日
頭を抱えていた。
―こんなことが数年つづき。
娘も、もう10歳に。それまで何度か会っていた。
その間も、母からは
「あんたは甘えてる。遊んでばっか」と。
《…何とでも言ってくれ。……ごめんなさい…》
朝から夜まで仕事をしている母。
家でひとり、アルコールに依存している私。
“言われて当然” と思っていた。
娘は小学校高学年となり、女の子特有の
様々なトラブルが。
その頃から、私の体調も良くなりはじめ、
通院しながらも娘と一緒に暮らすようになっていた。
母は
「あんたのとこで見るようになってからじゃん」と。
娘のトラブルの原因が、私のせいだと。
母は娘を二人も育てているのに…
この時期の大変さを知らないようだった。
…だろうな。
ぜんぶ自分たちで、どうにかしてきたっけ…
娘と暮らしてはいたが、手当等は全て母が管理している。
私が自由に使えるお金は、B型就労の少ない工賃と障害年金だけ。
ある時、娘の学校から電話。
『…え、徴収金が未納…あっ、分かりました。申し訳ありません。すぐに振り込みます』
すぐに母へ電話する。
『学校のお金払ってる?…遅れるって…いや、なんでよ。せめて自分で電話してよ(ガチャッ)―』
…こんなことが何度も。
娘を守りたい。
でも、私だけの判断で動けない。
家の事情は、誰にも相談しちゃいけない。
学校でトラブルがあっても登校させろと言う母。
娘には「勉強だけ頑張りなさい」と言っていた。
悲しそうな顔をする娘。
それを見た瞬間、
《…これ、このままだと娘まで私みたいになる》
そう思い、いつもお世話になっているB型作業所の人に相談した。
ここまで何度も何度も悩んだ。
《どうなるか分からない。でも、このままじゃ…》
眉間にシワを寄せながら、電話で丁寧に一言一言話した。
この時、すごく身体が熱かったのを覚えている。
もう、母のことばかり考えていられない。
あなたじゃない。娘がいちばん。
「そんなこと…喋っちゃダメよ!!」
激しく母に詰められたが、私は折れない。
初めてこんなに反抗した。
このとき、私は34歳。
何度も頭に血がのぼったり、ひどく落ち込んだり。
でも、もう逃げなかった。
――あれから四年。
娘は高校生になり、今では大学進学を目指して
バイトと勉強の両立をしている。
あの頃、こんなに穏やかな日が来るとは思っていなかった。
娘は、私がやりたかったことを出来ている。
大学なんて…私には、別世界の話だった。
それがもう、娘の目の前にはある。
妹も、後に家を出た。
久しぶりに会うと、別人のように優しくなっていたのが印象的。
私は “発達障害” と診断された。
《あーー…だからか…》
生きづらかった理由がようやく繋がり、なぜか随分と前向きになれた。
母も…急に一人になり、最初は不安が大きかったそう。でも「なんか楽になった」と笑っていた。
あと、生活を見直したよう。
初めて職場にお弁当を持っていったらしい。
「食堂がまーた高くなったの。安くで済むからみんな持ってきてたんだねぇ…」と、感心していた。
私が母より娘をとった、あの日。
私も・娘も・妹も…そして、母も。
やっと、それぞれの人生が始まった。
そして。
我が一族、初の大卒者が生まれる日も…もう、夢なんかじゃない。


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